小山教授「一機くらいなら、入って来ても試験はやります」
学生「爆弾で死んだらどうします」
教授「私も死にます。諸君といっしょに死にましょう」
学生、小声「ジョ、冗談じゃない。お爺さんと心中させられてはたまらん」
教授「試験中に死ねば、これは学生の戦死です。諸君も本懐というべきでしょう」
学生、小声「戦死したあとで答案を見たら、デタラメばかりじゃ、あんまり勇ましくないなあ」
(97頁:3月)
「ジョ、冗談じゃない」こーいうのってよく、「ジ、冗談じゃない」
て書かれますよね。
「き、きゃあー」とか音で考えれば「ジョ」とか「きゃ」で一度詰まるのが普通だと思うんですけど、文法的になんか決まりでもあるんでしょうか?
あ、これはあんまり関係ないですね。
でも、結構余裕が感じられますよね。
「敵の無差別爆撃を、天人ともに許さざるとか何とか、野暮な恨みはのべはしない。敵としては、日本人を何万人殺戮しようと、それは極めて当然である。
さらばわれわれもまたアメリカ人を幾十万人殺戮しようと、もとより当然以上である。いや、殺さねばならない。一人でも多く。
われわれは冷静になろう。冷血動物のようになって、眼には眼、歯には歯を以てしよう。この血と涙を凍りつかせて、きゃつらを1人でも多く殺す研究をしよう」
(108頁:3月)
まるで鋭利な刃物のような考え方です。でも、これが当然だったんでしょうね。
でも、こーいう覚悟、理性ってのは大事だと思います。
戦争なんだから虐殺だってあって当然だ!と言いつつその一方で、原爆を落として無力な民間人を大量虐殺したアメリカはどーのこーのとか言ってる人を見ると、馬鹿なやつだなぁ、とつくづく思います。
なんか面倒になってきた(爆
まだまだ沢山あるんですが……
でも確かにこーいうのは私たちにとって良くも悪くも刺激になると思います。
平穏というぬるま湯に使って、歯槽膿漏になった人間が過去を振り返り、悲劇だの悲惨だの抜かしてるのを百回聞くより、当時生きていた人間が当時に書いたものを読むほうがよっぽどいいですね。
それも日記ですから、軍や政府によって言論統制されているということもないわけです。
そもそもその思想が政府による洗脳だ、というなら、
今の私たちだって同じようなものです。
いつだって私たちは先入観や既成概念というものを他人から刷り込まれて、いかにもそれが唯一無二の真実だと思ってしまっているんですね。
これほど馬鹿らしい話もありません。
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