読みまくってます。
山岡荘八「毛利元就 1」
読み終わりました。
余談ですが、
基本的に私はカバーはつけません。
書店でも断ってます。
まー、ぶっちゃけ、書店のカバーって大きさの種類が決まってるからね。
必ずしも本の厚さにピッタリ合うってわけじゃないんだよね。
そんなんだったら、適当に紙買って、自分で作った方がいいし。
それに保管するときに、一々はずすのも面倒だし、つけたままだと、何の本だからわからなくなるし・・・・
というわけで、自宅外で読むときも表紙そのまんまなんですが・・・
この本読んでるときに、知人に「元就」てなんて読むのか聞かれました。
いや、もうね。あいた口が塞がらないというか・・・
確かに、人名はなんて読むのかチンプンカンプン、そんな読み方分るか~!というようなモノもあるわけです。
かくいう、私の名前もちと特殊なわけですが。
いや!でも!
もとなりは一般教養範囲だろ~
毛利元就って武将は有名だろ~
上杉謙信、武田信玄、伊達政宗と同じぐらいの知名度はあると思います。
やっと本題です。
「褒美にころぶ人間ならば、いつの世でも語るに足りない。といって、その逆に無理を承知で挺身して来る感情家では、これも大事をともにできる相手ではなかった。」
(98,99頁)
過ぎたるは及ばざるが如し。とはまた違う、か。
こんなことを言われては、反論のしようがありませんね(汗
「人々はよく戦国時代の婚姻を「政略結婚―」と呼んで、いかにも不純なもののように考えている。しかしこの時代の結婚に、政略(?)の意味を含まぬ結婚などはほとんどありようがなかったのだ。
それほど人間は「生きるため―」にいっさいの努力と犠牲を傾けなければならない、生き難い時代であった。」
(226頁)
世知辛いといえばそうですが、
所謂、恋の始まりが結婚の前か、結婚が恋の始まりかの違いですよね。
いや、まぁ、そんな美しい話ばっかりのわけはないんですが。
「習慣というものは、おかしなもので、誰が決めたともなく、いったんそうと決ってゆくとそれを破る者を卑怯と罵り、罵られた者は、それがいかにも恥ずべき行為であったかのように、その習慣に従おうとする習癖をもっている。」
(324頁)
人は時にそれを、暗黙の了解とか、暗黙のルールとか、
そーんな感じにも言いますね。
「申上げまする。杉、内藤、青県、谷田、千寿、秋月らの陣屋は夜襲を受けて、討たるる者千人近く、手負い数知れず、早々、この場をお立退きのご用意しかるべし」
「そういうそちは!?」
「毛利元就」
(毛利元就・大内義隆;326頁)
夜襲をかけたのは、誰でもない毛利元就自身なわけですが。
よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。
毛利元就は、
猛将というよりは、むしろ知将といった感じですね。
それでいて、信長のような胆力も持ち合わせている。
信長が天下平定を目指したように、元就も極めて似た目標、百万一心を目指す。
どこにでもいそうで、こういう武将は案外少なかったんじゃないかなぁ。
この巻でずいぶんと歳をとってしまいましたが、むしろ盛り上がりはこれから、ですね。
次巻に期待!
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