うーん。
私は思うんですけどね。
小学校とか中学とか高校とか、
国語、現代語の授業で、熟語の意味を学んだり、
テストでその意味を問うたりしてますよね。
例えば、「憂鬱」とはどういう意味か答えなさい。てな感じで。
でもですね。私は思ったわけです。
「憂鬱」の意味は「憂鬱」であろう、と。
いや、何言ってんだが全く意味わからないですね。
要するにですね、
憂鬱は憂鬱ゆえに憂鬱なんですよ、きっと。
広辞苑で引くと、
「気がはればれしないこと。きがふさぐこと」
てでるんですけどね。
これは違うんですよね。ええ、違うと思うんです。
憂鬱ってどういうことか?
それは気がはればれしないようなこと。
確かにそれは間違ってないと思うんですけど、完全に一致してるわけでもないと思うんです。
えーと、
英語を日本語に翻訳する、てのをイメージすると分かりやすいと思うんですが。
英語と日本語は全く違う言語なんで、
翻訳するってのは、全く同じ文章を作るわけじゃなくて、
似ている意味の言葉を探して、似たような意味の文章を作ってるだけなんですよね。
それと同じだと思うんです。
憂鬱ってのは気がふさぐことなんですけど、
気がふさぐことだけ、じゃないんですよね。
憂鬱は憂鬱なんです。
文学的な造語ってのもありますから、完全に一致してるのもあるのかもしれませんが、すべてがそうじゃないと思いますよ。
ええ。
そうなるとですね、
意味を言葉で説明できなければ分かっているとは言えない、とは
よく言われる、私も言ったことがあるんですが、
それは大きな間違いですよね。
もっとですね、感覚的に、イメージで理解するべきなんです。
春ってのは何か?
夏の暑さってのは何なのか?
鳥肌が立つような感動、ゾッとするってのは一体どういうものなのか?
そんなん言葉でいくら言い表しても、何の意味も為さないんですよね。
ですから、ステレオタイプな熟語の意味当てクイズみたいなテストは
かえって子供の感性をめっちゃめっちゃに引き裂いてしまいそうな気がします。
平坦な言葉で学ぶより、豊かな感覚、イメージでもって教える方が
日本人らしくていいと思いますねえ。
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