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フィードメーター - 思考の狭間 ~一瞬の中の無限の時を刻む~

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戦略と礼儀は常に二律背反するものだよね。

上杉謙信は当時はその正義感、不犯の精神は多くの人間を惹きつけたんだろうね。
武田に塩を送るエピソードは“敵に塩を送る”なんて格言にもなってるしね。
信玄の宿命のライバル。
上洛するわけでもない、武田に攻め入るわけでもない、ただ戦を楽しんだ人。

パッと見、まさに「善」を体現したような人間に見える。
でも当時はともかく、現代で考えた場合、それは本当に「善」なのかな?
決着つかずの引き分けでも、人は大量に死ぬ。
戦を楽しむ?それは言い換えれば、人死にを楽しむということじゃないのか?
快楽殺人者と、やってることはどれだけ違うのか?

敵に塩を送る?そんな情をかけたせいで、どれだけの人間は死ぬことになったのか?そんなことせずに、武田を滅ぼしてしまえば、
少なくとも、武田上杉間での戦でどれだけの人が死なずに済んだのか?

戦略を追究すれば、礼儀が無くなる、
夜襲、人質、内通・・・・

その戦略と礼儀の背反するジレンマ。
日本において、それでもその二つが両立できたのは、ある種の「潔さ」だったんだろうね。
どんな卑怯な手段をもって、倒されたとしても、無様に相手を罵ることなどせず、ただ潔く死んでいく。

現代では、批判的な意見も多くあるけど、それでもこれは一つの美徳だって言えるんじゃないかな。

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