そういえば、いまさらながらに思うんですが……
フランケンシュタインってお話がありますよね。
ビクター(ベクターだっけな?)・フランケンシュタイン
という科学者が、墓場から足の速い人間の足、腕力のある人間の腕、
秀才の脳みそ、とそれぞれの優れた人間の優れた部分を切り取り持ち帰り
それらによって至上最高の人造人間を作りだす。
そしてフランケンシュタインと自らが作り出した人造人間との争い、宿命を描いたお話ですね。
と、ここまで書けばお分かりかと思いますが、
よく人造人間を指して使われるフランケンシュタインってのは
人造人間ではなくて、それを作った科学者の名前なんですよね。
物語の中で、彼は自分が作った人造人間に名前は与えてません。
なので実際は名無しの権兵衛てわけですね。
ですから私は、今まで人造人間をフランケンシュタインていってる人に
そりゃあ、もうドヤ顔で、ちっちっちっ 違うんだよワトソン君
みたいな感じでえらそーに講釈垂れてたんですが、
改めて考えると、人造人間をフランケンシュタインと呼称するのも
間違いではない、気もします。
なぜかっていうと。
そりゃ作品内では確かにビクターは人造人間に名前は与えていません。
しかし、ビクターが作った人造人間に違いはないんですよね。
いわば息子のようなものです。
さらにフランケンシュタインは厳密には「名」ではなく「姓」ですね。
ですから作られた人造人間を息子、家族のようなものだ、とするなら
フランケンシュタインの名を与えられ、またそう呼称されるのもおかしいことではないんではないか、と、
今更ながらにそこに考え至りました。
というか、タイトルの「フランケンシュタイン」も
おそらくはそういう意味合いを含めて、つけられたんですよね。
うーん。なんと浅はかな人間であったのか、過去の自分。
今後はあんまりえらそうに講釈するのもやめようかと(何
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