宮本照夫
「学校が教えてくれないヤクザ撃退法: 暴力団の最新手口から身を守るためのバイブル」
を読みました。
内容紹介
「ヤクザにかかわることなんて一生ないだろう」。
たいていの人はそう思っているに違いない。
だが、思わぬことをきっかけに、ヤクザと出会い、しつこく付け回され、脅されて、あり金を巻き上げられ、人生をめちゃくちゃにされることもありうるのだ。
「ヤクザお断り!」の営業方針を断固貫く飲食店経営者が実例をもって綴る、学校が教えてくれない社会の真実と自分で自分の身を守る方法。
全4章構成で、
第1章がヤクザ被害談になってます。
会社経営をしていた2人の男性がヤクザに目をつけられて……、と。
2章がヤクザと芸能人の話、
少し前に話題になっていた、某紳助の話とかも。
前編通して語られているのが、
因縁つけられたら即警察へ、ということ。
やっぱりすぐにそういう機関に頼るのが一番なんですね。
日記やボイスレコーダーらでいつなにをされたのか、またその会話の録音なども重要らしい。
なるほどなるほど。
『 ヤクザ社会が一見礼儀正しく、義理や人情にも過剰と思えるほど注意深く、おさおさ抜かりがないことはご存知だろう。 これはひとえに、相手から付け込まれないため、抗議の口実を与えないための、盾や鎧のような防具なのだ。 彼らは些細なことで因縁を付ける名人だから、無防備な素人はひとたまりもない。』
(27頁)
『 いずれにしろ、二人はここでもいい勉強をしたはずだ。 つまり起きた事実を客観的に立証する難しさを、警察に教えてもらったと言える。
前科を重ねて見るからに凶悪な関西太郎に、二人の堅気の青年が被害を受けたと訴える。どう見ても、誰が判断しても、悪いのは関西太郎。 二人の言い分は事実であることは明白だ、と百人が百人思うだろう。 だが、“公判”ともいうように、裁判というものはつまり「おおやけの判断をする場」だ。 ゴロツキだろうと善良な市民だろうと何ら先入観を持ってはいけないところなのだ。 これが「法の下の平等」ということで、暴力団だからといって、それだけで罰してはくれないのだ。』
(154頁)
『 それでも警察の力を借りたいのならば、事実を客観的に説明できるだけの証拠を提示することだ。 しかし、自分が客観的証拠だと思ってみても、中立的立場からみれば客観的でない場合が多いものである。 如何に自分の身は自分で守る姿勢を身につければならないか、ということをこの戦争で思い知らされた。』
(235頁)
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