続きです。
最後の決戦の時、
勝元もちゃんと兜をかぶるべきだと思います。
プライベートライアンで誰か上官かわからせないために
敬礼をするな!て言ってましたが、
この時代は全くの逆なわけです。
我こそが――うんぬんかんぬん、と。
勝元の側近のかっこいいヒゲのおっちゃんはでかい二本角の兜をかぶってましたよね。
勝元の自害をオールグレンが止めるシーンも
あれもちと違うんじゃないかなあ、と。
恥じて死ぬより生きて恥辱を雪がん!が武士道のはずです。
武士道とは死ぬことと見つけたり、も同義です。
要するに名誉の死こそが誉なわけです、てこれじゃ被りますね。
負けたら恥ずかしくて生きていけないから死ぬ、なんてのは
ただの犬死じゃないかと。
それこそ戦国時代、敗れた国の大名が自害をするのは
民や臣下の命を思ってこその行為なわけですよ。
信念と大義を無くした侍は、骸も同然です。
骸はただ塵に還るのみ。
灰は灰に、塵は塵に、てやつです。
ん?これは違うか?
刀は武士の魂?だからなに?
そもそもそれはどうして?
そこが無くなってしまったからこそ侍はなくなってしまったんじゃないかと。
この映画を見て感じました。
農民には持つことを許されなかったわけです。
ま、時代によっちゃ普通にもってたでしょうけどね。
刀に意義があるわけじゃなくて、刀を所持できる、
所持するというところに意義があったわけです。
そんで、その意義を理解していれば、その意義さえあれば、
刀なんか、本来は必要ではないんです。
伝統が形骸化し、ただ過去にしがみ付くだけの懐古厨となってしまった
彼らにはやはりこれが、当然の末路ってわけなのかもしれませんね。
制作者がここまで考えて作ってんのかは知りません。
ま、私の意見も見当違い甚だしいのかもしれませんが。
あ、あと一番おもしろいな、と感じたのは宗教関連。
現代だと俺は無宗教だぜー神なんかいるわけねー
宗教なんて戦争のモトにしかなんねーただの害悪だー
つーかそもそも日本に宗教なんかねーっつーのー
みたいな人が多いですが、かなり神仏についても強調してましたね。
ええ、ええ、日本にもちゃんと宗教はありますよ。
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