最近のコンビニ等でのおにぎりの大御所といえば、シーチキンおにぎりなわけだ。
しかし、シーチキンおにぎりが世に出てくる前は、梅干や鮭、おかかや塩がその大部分を占めていた。
その過去の有力勢力も、今ではシーチキン勢に押されに押され、今ではおにぎりコーナーの片隅を甘受してしまっているのが現状。
さて、そのシーチキンおにぎりと、言ってしまえばそのすぐ腐ってしまいそうなシーチキンによって、移動のお供には些かし辛い、おにぎりの一番の利点を無くしてしまっているというのにも関わらず、その当初絶大な人気を誇り、今でもその根強い支持を失うことも無く、そのおにぎりコーナーの一角を我こそ真のおにぎりである、と主張するかのように居座っているのは、一体何故だろう。
梅干や鮭、おかか、塩、こんぶ等の既存のおにぎりの具には無い、何かが、シーチキンにはあったのだろうか?
最近では、シーチキンに追いつけ追い越せと新しい具の開発が進み、どんどんその具の種類が増えていっている。
私はよくローソンにいくわけですが、そのおにぎりの種類の多さといったら。
そして、何よりもその回転率の速さ。
エビマヨネーズが新発売されたと思ったら、一ヵ月後には無くなり、照り焼きソーセージになり、お次は高菜チャーハンへと変貌していく。
まさに回転寿司ならぬ、回転おにぎり。
これはひとつのコンビニの名物ともいえるのでは。
しかし、なんだかんだで、その多くの具はシーチキンには遠く及ばない。
何故及ばないのか。
上記でああいいましたが、今、私の周りで、シーチキンのおにぎりが大好きで大好きでたまらない、という声は全く聞かない。
果たして、シーチキンおにぎりの実際の人気とはどれほどのものなのか。
実に興味深い。
シーチキンおにぎりがそのほぼ全てのおにぎりコーナーにおいて必ずその一角を占めているのは、人気故ではなく、いわゆる事なかれ主義。
即ち、それほど人気があるわけじゃないけど、ある一定の決まった収入が期待できる。
当たりはしないが、はずれもしない平均的なオーソドックスな商品だと、いうことなのかもしれない。
それは以前のオーソドックスな具だと思われてきた、鮭や梅干からの大きな変化だといえる。
歴史の教科書には載っていないけれど、それは前世紀から今世紀にかけての大きな革命、即ち、「おにぎり革命」なのでは、ないだろうか。
そう、我々は気付きもしないうちに、産業革命や名誉革命のような、些細ではあるが、ひとつの革命を目の当たりにしてるのだ。
そして、もしかしたら、シーチキンにマンネリしてくる近い将来に、おにぎり界の救世主たる、新たな具材が発明されるかもしれない。
そして、それこそが「第二次おにぎり革命」に他ならないのだ。
そう、我々は「第一次おにぎり革命」を体験し、これから「第二次おにぎり革命」へとじわじわと駒を進めつつあるのだ。
実に楽しみである。