ブログのネタにしようかと思って、読み終わった本をどっかに置いておいたハズなんだけど……その置き場がどこだかわからなくなってしまった罠。
どこにやったっけな~?
とりあえず、先日読み終わったやつをば。
浅田次郎 「ひとは情熱がなければ生きていけない 勇気凛凛ルリの色」
創作小説ではなくエッセイです。
小説家への道
創作作法
育ちからの学び(江戸っ子)
自己評価
道楽の極意
に関して、それぞれ書かれています。
合間に学校や自衛隊で講演されたときのことも。
この浅田氏は三島由紀夫にものすごい影響されているんだなあ、と感じられます。
なにしろ、そのせい(おかげ?)で自衛隊に入隊までしてるわけですから。
本を読む限り人は考える、だから毎日1冊、本を読みなさい、と。
なんとも耳に痛い言葉ですな。
『 すべての芸術の真価は、大衆の誰にも理解されうる普遍的感動によってのみ証明される。
中略
以来芸術は「わかる者だけわかればよい」という孤高の砦にたてこもってしまった。
日本の文学もまた、その近代の誤訳の中で「純文学」と「大衆文学」という不可思議な分別をなされてしまった。これは芸術上の正当な分類ではない。あくまで営利的な、要するに街なかのゴミと同じ扱いの「分別」である。』
(40頁)
ああ、私が普段感じてるモヤモヤしたものを、見事に言い当ててくれたような感じ。これ(笑
昨今はわかる者だけわかればよい、だけじゃなくて、さらに、わからない者は屑だ、に変異しつつあるだけ尚更異様に見えてますよね。
『だからこそ町なかの貸本屋から一冊十円の小説を借りてきては舐めるように読み、読書家の父を持つ友人の家を訪ねては、高価な外装の文学全集を拝借してきた。』
(74頁)
当時は貸本屋なんてのがあったのかー。
今は図書館が無料で貸し出しやってるからそんなんやっても採算とれなさそうですよね。
それ以前に著作権云々で摘発されたりしてしまうんでしょうか?
『 かくして、世に謙虚な人間がいなくなった。デブはデブである現実を信じようとせず、痩せ女はさらにダイエットを試み、醜女も醜男も自分は十人並み錯誤し、老人は未だ壮年だと、少年は大人だと勘違いする。
この肉体に対する自己評価の誤りは、それを器とする精神にもむろん採用されるわけで、ありもせぬ才能を信ずるバカとか、そのバカを天才と見誤るさらなるバカとか、おのれの主張はすべて正義とするバカとか、あるいは突出せざることが見識であると誤解するバカとか、要するに夥しい絶対的バカを世に輩出せしめたのである。』
(153頁)
自分を省みることはとても大事ですね。
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